北パブコラム(第20回):性犯罪について(弁護士 髙橋 俊彦)
はじめに
弁護士としてそれなりに経験を重ねていく中で、いわゆる性犯罪事件に関わることは、決して少なくはありません。
もちろん、性犯罪といっても、電車内でのチカンや強姦、児童ポルノ関係など多岐にわたりますが、ここでは最近、話題になっている強姦事件について、少し申し上げたいと思います。
性犯罪根絶の必要
まず、性犯罪というものが与える被害は、本当に甚大なものであることを最初に指摘しなければなりません。まさにその人格の全てを踏みにじるものである、と言っても言い過ぎではないでしょう。我が国でも勇気あるサバイバーの方が本を出版されています。代表的なものとしては「STAND−立ち上がる選択」、「性犯罪被害にあうということ」などが挙げられます。これらの本を読むとき、性犯罪事件の弁護を引き受けることの重さを改めて強く意識しないわけにはいきません。
性犯罪の容疑者とされるということ
このように性犯罪が女性に与えるダメージが極めて重大であることの裏返しとして、性犯罪の加害者には社会からの厳しい非難が向けられます。これは、ある意味では当然のことです。しかし、我が国の社会では、往々にして「逮捕されたというだけで有罪」という認識が一般的になっているように思います。これは大変残念なことです。
逮捕される場合、一定の「疑い」が存在することは事実です。でも、それは一定の「疑い」が存在しているという以上の意味を持ちません。
近時、有名芸能人が強姦致傷罪を犯したという嫌疑で逮捕されるという事件がありました。報道機関は、彼が犯罪者であるという前提に基づくニュースを繰り返し報道しました。
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無罪推定の原則、という言葉があります。
簡単に言えば、有罪判決が確定するまでは被告人は無罪と推定されるという意味です(判決確定後の再審の場合は例外的ですがここでは触れません)。これは、無罪と推定される以上、その人が有罪であることを検察官が証拠によって証明しなければならない、というルールを導きます。
そして、その証明の程度については「証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が罪を犯したことが間違いないと考えられる場合には有罪とし、逆に常識に従って判断し、有罪とすることに疑問があるときには無罪としなければならない」とされています。
つまり、一定の「疑い」があったとしても、それだけで有罪であると決めつけてはならない、ということが、基本的なルールになっているのです。
無罪推定の原則と社会の受け止め
冒頭に申し上げたとおり、性犯罪は根絶しなければなりません。しかし、その時点で、無罪と推定されている人(つまり、有罪と決まったわけではない人)に対して、あたかも有罪であることが前提となるような決めつけをすることは極めて危険なことです。
そのような決めつけをしない。そのことによって、えん罪被害が少なくなっていくでしょうし、ひいてはそれが犯罪を減少させていくことにもつながっていくと思うのです。なぜなら、えん罪被害が生まれる裏では、真犯人が処罰を免れているわけですから。
「無罪の推定」は刑事裁判においては当然ですが、裁判の場以外でも、取り入れるべきルールだと考えています。
ぜひ、無罪推定の原則を前提として事件報道を見ていただけるよう、そのような方が一人でも増えていくよう、念願しています。
最後に
今回、大々的に報道された事件は、容疑者に対して不起訴処分が下されたようです。検察がその判断に至った理由は明らかにされていませんから、その処分の当否を検討することはできません。弁護人のコメントにあったように、事実関係が明らかにならなかったことが影響しているのかもしれません。示談が成立したことが重視されたのかもしれません。もしかしたら、被害女性とされている方が世間の好奇の目にさらされることを避けたいと強くお考えになったのかもしれません。真実はわかりませんし、憶測で物を言うことは真実を遠ざけてしまう可能性もあります。
特定の事件を捉えて、推測で気軽に意見をいうには、性犯罪というものは、あまりに「重すぎる」事件類型です。
弁護士 髙橋 俊彦
2016年9月16日 10:19 AM カテゴリー: コラム