北パブコラム(第26回):鎖を踏みしめて(弁護士 田中 翔)

 平成28年度犯罪白書の統計によれば、検察官が勾留請求をすれば、97.4%勾留されます(平成27年)。
 裁判官が、検察官の勾留請求を認めないことはごくわずかしかありません。
 勾留請求が却下されたり、勾留決定に対する不服申立てが認められたりすれば、弁護士の間ではちょっとしたニュースになるくらい、珍しいものです。
 証拠を隠滅するおそれがある、逃亡するおそれがある、こうした「おそれ」により、多くは20日間(逮捕されてからカウントすると23日間)、警察署の留置施設に閉じ込められることになります。
 しかも、弁護士以外と面会ができないという「接見禁止処分」もついてくることがあります。
 昔に比べれば少しだけましになったようですが、これが昔からの日本の刑事裁判の姿です。

 しかし、日本以外に目を向けたとき、これは必ずしも常識とはいえないようです。
 実は先日、ニューヨークに行ってきました。ニューヨークの公的弁護制度を視察するためです。
 身体拘束がされている人に対して、どの段階でどのように弁護士がつけられるのかを調査しに行ったのですが、ニューヨークでは、逮捕された人のうち70%くらいが、逮捕されてから24時間で釈放されることを知りました(ちなみに、ニューヨークでは多くの場合、最初に裁判所に連れて行かれる段階で弁護人がつけられるとのことです。)。
もちろん釈放された人は無罪放免ということではなく、その後自宅から裁判所に来て有罪か無罪かの判断を受けることになります(日本的にいえば在宅事件)。
 ニューヨークの裁判所で実際に裁判官が被疑者を勾留するかどうかの手続を見学しましたが、手錠をかけられて法廷に入ってきた被疑者が次から次へとその場でどんどん釈放されていきました。
 日本の刑事司法を見てきた身からすれば、これはなかなか衝撃的な光景でした。こんな風にどんどん釈放されるなんてありえないからです。

 もちろん日本とニューヨークを単純に比較することはできません。制度の仕組み全体が違いますし、刑事事件の件数も違えば国民性も違います。
 ニューヨークでは、釈放されてそのまま逃げてしまう人もそれなりにいるようです。多少は逃げられてもかまわない、そういう割り切りがあるようです。もし日本で被疑者が逃亡して見つからなかったら大問題になるはずです。ここらへんの感覚の違いも、おそらく国民性の違いといえるでしょう。
 でも、証拠を隠すかもしれない、逃げるかもしれない、そんな「おそれ」で、有罪になってもいないのに、長い間外に出られず、家族とも話せず、ときに仕事を失い、ときに健康も害するのが日本の制度です。
23日間も閉じ込められたら、サラリーマンは仕事を辞めなければならないかもしれません。自営業の人なら、倒産するかもしれません。
 あまりにつらくて、拘束から逃れたくて、やってないのにやりましたと認めてしまうかもしれません。
 勾留は刑罰ではないのに、まるで刑罰を受けているかのようです。
 拘束される人のことを全然考えないような制度より、釈放されたら逃げちゃう人も少しいるけれど、ちゃんと人権や自由に配慮している制度、こっちのほうがいいのではないか、私はそう思いました。

 ニューヨークの制度を見てきてから日本の勾留制度を考えてみると、とても暗い気持ちになってしまいます。
 しかし、少しずつでも制度は変えられるはずです。35年くらい前、ある刑事法の教授が日本の刑事裁判を診断して、「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」といいました。きっとその時代に比べたら、日本の刑事裁判はよくなっているはずです。
 これからも、少しずつ、ほんの少しずつでも、日本の刑事裁判がよくなっていってほしいと思います。
 現状を肯定せず、常に前を向いてこれから闘っていく。そんなことを、自由の女神が見守るニューヨークで考えていました。
 これからも、被疑者の身体拘束からの解放に向けて、努力していきたいと思います。

 

  弁護士 田中 翔

2017年5月20日 12:00 AM  カテゴリー: コラム

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