北千住パブリック法律事務所
メンバーインタビュー企画【第3弾】

2006年に弁護士登録後、北パブに入所。約2年間養成のち、2009年4月、宮崎県の日向入郷地区ひまわり基金法律事務所に移籍し、2012年に北パブに戻ってきました。2021年に副所長就任、現在に至ります。

鈴木 加奈子 Suzuki Kanako

司法試験を目指したきっかけを教えてください!

 高校の授業で自由課題研究というものがあり、そこで「脳」をテーマに法的・医学的に調べることがありました。この経験が、医学と法学の両方への興味につながりました。当初は医学部を志望していたのですが、数学が苦手だったこともあり、理系より文系かなと迷っていました。そんなとき、自由課題研究の担当の先生から、法曹は「社会のお医者さんだ」と言われたことが心に残り、法曹の道もありかもしれないと思って、法学部へ進学することにしました。司法試験合格後、その先生に先生の言葉がきっかけですとお話しましたが、「そんなこと言ったっけ?」と笑われました(笑)。
 大学に入ってすぐに司法試験の勉強を始めたわけではなく、法律討論サークルに入ったり、出来立てのラクロス部に入ったりして、学生生活を楽しんでいました。ラクロスは当時まだ知名度が低く、通学の電車で知らないおじさんたちに「どじょうすくいでもやるのか?」と聞かれたこともありました(笑)。

司法試験や受験生活の中で、今も役に立っていることはありますか?

 学部3年生から本格的に受験勉強を始めました。一番苦労したのは論文試験でした。
 試験に受かる経験をしようと思い、法律以外の分野の試験ということで、簿記試験を受験しました。会計のことなど全く知らなかったので、ちょっとは知識をつけようという気持ちでした。司法試験の論文試験が終わった夏の間に簿記の勉強を始め、秋に試験を受けました。司法試験に合格してからは、司法修習までの期間で、ファイナンシャルプランナー(FP)2級の勉強もしました。登録はしていませんが、FPの知識は役立っています。特に保険、年金、税金の仕組みを知ることは重要ですね。  
 大学時代や司法試験勉強中の法律以外の分野の経験や勉強が、弁護士になってから役にたっているかなと感じています。

北パブとはどのような出会いでしたか?

 最初から「弁護士になりたい」と考えていたので、修習中も弁護士会の委員会活動等に積極的に参加しました。弁護修習をさせて頂いた法律事務所は、弁護士1名で経営している町弁の事務所でした。多くの経験をさせて頂き、市民の方のための弁護士(いわゆる町弁)を目指したいという気持ちを強くしました。
 就職活動では大学の先輩の事務所を訪問させて頂いたぐらいで、本格的な応募はしていませんでした。そんな中、弁護士会の公設事務所の合同説明会に参加し、その帰りに北パブを訪問しました。そこで、初代所長の前田裕司先生が「最後の弁護人たれ」と熱く語られるのを伺って、「ここだ」と直感しました。私は、市民の方のための弁護士という仕事の中には当然に刑事事件も含まれると考えていたので、他の事務所に応募もせず、北パブの採用面接だけうけて、幸い採用してもらえました。

地方赴任(宮崎)もご経験されたと聞きました。

 私は法曹を志望する前「無医村で働く医師」に憧れを抱いていたので、「弁護士が足りない地域で働くのもいいな」と考えていました。縁あって入所した北パブは、日弁連の制度で司法過疎地に設立されたひまわり基金法律事務所や、法テラス地方事務所に赴任する弁護士の養成事務所でもあったので、赴任については前向きに考えていました。入所して2年目の頃、北パブから宮崎県の日向入郷地区ひまわり基金法律事務所に赴任していた先輩弁護士が、勤務弁護士を探しているとの話があり、赴任しました。当時人口3万人に対して弁護士2人、宮崎県北部の延岡支部の管轄内で、弁護士10人という環境で、多くの法律相談をこなしたことは、弁護士としての力になったと感じています。また、自分が育った関東地方を出て生活したことで、それまで自分が当然と思い込んできたことが覆され、改めて、いろんな価値観があることに気づかされました。この経験は、北パブに戻ってからも事件処理に生かせていると思います。
 宮崎県は、気候も人々も穏やかで住みやすいところでした。依頼者の方から報酬代わりと言って、大きなシイタケを頂くなんてこともありました。宮崎県で定着して弁護士として活動することも考え迷いましたが、親のことなど考えると遠方に住み続けるのは難しいと感じ、北パブから「戻ってきて」と声をかけられたタイミングで帰ることを決めました。

印象に残っている事件を教えてください!

 北パブではたくさんの刑事事件を担当してきましたが、特に印象に残っているのは、強盗殺人事件の控訴審です。一審の裁判で死刑判決が出ていましたが、控訴審で無期懲役に減刑されました。宮崎から戻ってきたばかりの頃で、控訴審は、正式に選任されていたわけではなく、事実上手伝っていたので、当然弁護人席には入れませんでした。法廷から報道関係者が走り出てきて報告しているのを聞き、原審が破棄されたのを知りましたが、震えましたね。
 服役中の元依頼者とは、現在も手紙のやりとりをしています。はじめて会ったときから、ごく普通の人という印象をもちましたが、そういう人が人の命を奪うという犯罪に関わってしまう理由、経緯に関心を持っています。この点、元依頼者自身も、どこで選択を間違えたのかと悩み続けていますが、犯罪に至る前、どこでどのようなきっかけがあったら、いまの結果にならなかったのかと、やりとりをしながら元依頼者と一緒に考えています。

最後に、弁護士としてのスタンスを教えてください!

 弁護士として、特に刑事事件では「最初の弁護でその後が変わる」と考えています。結果が見えている事件でも、どれだけ力を入れるかで、その後の更生がかわると教えられてきました。依頼者に少しでもこちらの懸命さが伝わって、何十年後かにそのことを思い出してもらえればいいかなと思っています。残念ながら実刑となり刑務所へ行った元依頼者からお礼の手紙をもらうこともあり、真剣に弁護したことがその方の今後に少しでもいい影響を与えられたのかもしれないと思い、とても励みになっています。

 民事事件や家事事件では、宮崎での経験から、一つの価値観、考え方にとらわれている方に、他の選択肢があること、違う考え方もあり得ることを提案できればと思っています。
それぞれの育ってきた環境や経験してきたことで、様々な価値考え方を個々人がもっており、どれが正しい、どれが間違っていると一概に決められないことも多いと思います。
 第三者から見ると、賢明な選択ではないと思われても、当事者は最善と思っていることも多いです。ですから、決めつけるのではなく、弁護士としては他の選択肢を提案して、少しでも良い解決につながればと思っています。

鈴木先生、インタビューにご協力いただきありがとうございました。

(インタビュアー:酒田芳人、宮城知佳、齋藤彩音)