北千住パブリック法律事務所
メンバーインタビュー企画【第1弾】

突如としてぶち上げられた北パブメンバーインタビュー企画。第一弾は我らが渡邉弁護士のインタビューです。渡邉先生、本日はよろしくお願いいたします。

渡邉 良平 Ryohei Watanabe

1997年に弁護士登録後、2004年に北パブへ入所、5年在籍のちに他事務所へ移籍し、2017年に北パブへ戻ってきて、現在に至ります。

弁護士をめざしたきっかけは何でしょうか。

もともと強く弁護士になりたいと思って法学部に入ったわけではないのですが、高校生の頃に地元で見た光景が影響しているかもしれません。

私の地元は、仙台の隣の塩釜という、当時は弁護士なんか一人もいなかったであろうところです。高校は仙台で、通学の際に一番町という繁華街を通っていました。そこでは、土曜になると「松山事件」の斎藤死刑囚の母親が再審開始を求める署名集めをしていました。母親である斉藤さんは、首に大きな札をかけて、息子は死刑が確定したけど無罪だ、と。当時、土曜は半ドンといって、午後になると学校や会社から帰る人たちが駅を通っていたのですが、そのお母さんの周りだけ空気が真っ暗…つまり、絶望的な空気。その空気があまりにも重くて、私は素通りしていました。正直、署名して何になるのかという気持ちもありました。
ところがその後、私が大学に入学した頃に、その事件の再審開始決定が出ました。大変なショックを受けました。あのお母さんは、絶望的な戦いをして勝ったのだ、それを弁護士が支えて再審開始決定にこぎつけたのだ、と。

…というのと、性格上、雇われは無理だなと思っていて(笑)、独立して自由に働くという弁護士のイメージへの憧れもありました。

渡邉先生といえば刑事事件というイメージです。
刑事事件がお好きなんでしょうか。

刑事事件は、証拠を見ながらきちっと証明していくという点に面白みを感じます。
漠然と、弁護士なら刑事事件と思っていました。先ほどお話しした松山事件再審請求事件のことも影響しているかもしれません。

印象に残っている事件はありますか。

最高裁で逆転無罪をとった事件です。

北パブのメンバーを中心に弁護団が組まれた事件で、第一審と第二審が有罪でした。当時、私は別の事務所にいましたが、上告審から参加させてもらいました。

証拠を精査していくと、「これは誰も言っていなかった」というものを発見しました。起案を朝から初めて、気づいたら夜になっていて。時間が飛んだような感覚でした。これらの証拠の発見と起案が無罪につながったと思っています。

このように、特に争いがあって難しい事件について、証拠をよく見て、判決の問題点とか違和感があるとそこをジーッと見つめて、何かが見えてくる。その過程がすごく面白いし、それで良い結果につながり、依頼者に喜んでいただけると、弁護士冥利に尽きるなと思います。

ずばり、お仕事の流儀は。

執務デスクに黒板を置いています。

こ、黒板ですか?ホワイトボードではなく?

最近、「数学者たちの黒板」という本を読みました。数学者というのは、実験で証明するということはできないから、書いてものを考えるんですね。そしてなぜか黒板に書くことを好む数学者が多いらしいのです。
…で、私もハンズで黒板を買ってしまいました。もちろんチョークも。
黒板に、こちらの弱点も含めて材料を書き出してみて、じーっと見つめて、こういうことが言えるんじゃないか、と閃いたことをアイディアをと書き足していく感じです。

【後日談】
インタビュー日に席で見せていただいたときは、こちらのPCディスプレイくらいの黒板が1枚だけでしたが、その後日撮影にうかがうと冒頭の写真のとおりさらに大きいものが2枚増えていました。
パーテーション3面に黒板が並べられ、色とりどりのチョークのほか、黒板消しや机拭きのための布巾も置かれています。

渡邉先生からみて、北パブ(事務所)の雰囲気はどうですか。

なんというか、ほっとしますよね。チャレンジングな事件に取り組むことも多い事務所ですが、依頼者に対しても相手方に対しても誠実で、正しいものは正しいと言う。そういった事件処理の姿勢が、所内会議での議論や、所員同士の普段の会話にも現れているなと思います。媚びへつらう笑いとかマウントをとるための笑いというものがありません。

渡邉先生、インタビューにご協力いただきありがとうございました。

(インタビュアー:酒田芳人、宮城知佳)